過去から学び、未来へつなげていく
HISTORY
過去から学び、
未来へつなげていく

ISHIFUKU
HISTORY
石福が守り続けてきた
“DNA”を
過去から学び、
未来へつなげていきます。
1930- 20XX
1930
1930
HISTORY
石福金属興業の
前身「村田商店」を
創業
創業者の古宮祐樹は25歳で「村田商店」を創業した。時計店や質屋などから金・銀・白金の古物を買い取り、精製した地金を大手地金商や需要家に販売。3年後には村田商店を発展的に解消し、「石福商店」を設立した。後の「石福金属興業」の始まりである。
不当な利益を得ない謙虚さと、恩義に報いる誠実さ。
PHILOSOPHY
不当な利益を
得ない謙虚さと、
恩義に報いる誠実さ。
門外不出の貴金属鑑定技術を公開して取引先が損をしないようにするなど、取引先と利益を分かちあう姿勢を忘れなかった。また、業界を引退する恩師、石福鑛太郎の花道を飾るため、自ら興した店に招き入れ、愛着のある店の名を捨てて、貴金属業界に「石福」の名を残した。
1941
1941
HISTORY
上海で貨幣を
製造
上海の銀行から委託を受けて上海に工場を設立し、貨幣の製造に携わった。戦時下の特殊な環境下とは言え、本来、貨幣製造は国家の専管事項であり、鋳造方法も機密事項である。民間の会社が、一国の発行する貨幣を製造したことはまれな出来事であり、大事業であった。
信頼と期待に応えたい。その一心でやり抜く。
PHILOSOPHY
信頼と期待に
応えたい。
その一心でやり抜く。
本来、民間では決して造ることが許されない貨幣の製造を任された責任を全うするため、古宮祐樹は東奔西走した。全く知識のなかった貨幣鋳造の機械についても猛勉強し、周囲が技術系出身の社長だと信じて疑わないほど精通した。
1950
1950
HISTORY
工業生産力の拡充と
製品の市場開拓を
目指して
戦災からの復興が始まる頃、当社が目標に掲げたのは「工業用貴金属製品製造業」へ進化することであった。GHQの指定工場としての役割を全うしたため復興に後れを取った当社は、全国への営業活動や生産設備の導入、技術開発に全社一丸となって取り組んだ。現在にもつながる白金器具や熱電対は、この時期に開発・生産を開始した。
創意工夫と努力で「他社に追いつけ、追い越せ」
PHILOSOPHY
創意工夫と努力で
「他社に追いつけ、
追い越せ」
業界紙でなく全国紙へ新聞広告を掲載する、会社宛でなく資材・購買担当の部次長宛にダイレクトメールを送る、分厚い総合カタログではなくコンパクトな品種別カタログを制作するなど、数々の従来の慣行を打ち破った。苦しい時代を創意工夫と努力で乗り越え、当社は後に貴金属業界の「御三家」と呼ばれるようになる。
1967
1967
HISTORY
産学連携で画期的な
歯科材料を開発
歯科材料は人の口の中に入るものであるため、高度な技術と信頼性が要求される。当社は1950年後半から歯科材料分野に本腰を入れ、産学連携による研究開発にも着手。長年にわたる研究や臨床実験を積み重ね、セラミックを焼き付けることで天然の歯に近い色調を再現する歯科材料を国内で初めて開発した。
未知のメタルに挑む
PHILOSOPHY
未知のメタルに挑む
1つの歯科材料を生み出すまでに試作した合金は100種類以上、理工学・技工データは3,000点を超えていた。当社が歯科材料分野で高い評価を勝ち取るまでには、半世紀以上にわたる多くの社員の絶え間ない創意工夫と長い間の苦労があった。
1973
1973
HISTORY
宝飾品パーツへの
挑戦
貴金属の供給元である当社が宝飾部門に直接乗り出すことは容易であったが、以前から原材料を供給していた取引先と共存共栄を図ることを重視しており、宝飾品生産は立ち遅れていた。そんな中、当時の日本では珍しかった、完成品と材料の中間にある「宝飾品パーツ」という分野を発見。国内初のシャトン(爪留枠)をはじめ、商品開発が進められた。
有利な立場でも利己的にならず、取引先との共存共栄を図る。
PHILOSOPHY
有利な立場でも
利己的にならず、
取引先との
共存共栄を図る。
売り手市場の強い立場、優位な立場にあっても、「これまでお世話になった取引先の足元をすくうような商売はしない」という強い信念のもと、新しい道を模索。商人の基本である謙虚な姿勢を常に忘れなかった。長年取引関係にあった宝飾顧客に喜んでいただきながら事業として確立し、成長し続ける分野を育て上げた。
1997
1997
HISTORY
難加工材のスパーク
プラグチップ量産に
世界で初めて成功
スパークプラグチップとは、ガソリンに着火させてエンジンを稼働させる「スパークプラグ」の先端にある電極。高温・高圧の過酷な環境にも耐えられ、燃費効率が良く、排気ガス量が少なく、耐久性があって長寿命であることが求められた。当社の開発によってスパークプラグの寿命は飛躍的に延び、車の燃費向上にも貢献した。
技術革新で時代のニーズを支える。
PHILOSOPHY
技術革新で時代の
ニーズを支える。
イリジウムは優れた特性を兼ね備えているが、非常に硬くてもろいという欠点があった。製品化は不可能とさえ思われていたが、諦めることなく、知恵と工夫を結集させて開発に取り組んだ。約3年の試行錯誤が実を結び、当社が世界で初めてイリジウムを主原料とするスパークプラグチップの開発・量産化に成功した。
2002
2002
HISTORY
品質確保・向上への
終わりなき挑戦
2000年代には品質マネジメントシステムISO9001やISO13485、環境マネジメントシステムISO14001を取得。お客様に安全・安心な製品を供給するための品質保証体制の強化や、環境に配慮した事業体制の構築、環境に優しい製品の開発に力を入れた。
環境保全を経営のひとつの柱に。
PHILOSOPHY
環境保全を
経営のひとつの柱に。
メーカーとしての社会的責任は、確かな品質の製品をつくり、市場のニーズに合った製品を開発してお客様に喜んでいただくこと。加えて、環境の保全に貢献すること。環境に十分配慮した事業活動を遂行しながら収益を確保し、企業の持続的な成長・発展を目指している。
2012
2012
HISTORY
持続可能な社会の
実現に向け、
産官学プロジェクト
に参画
国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)のプロジェクトに初めて参画。それまでも産学連携は行っていたが、これ以降、大学・研究機関だけでなく行政とも連携し、貴金属を用いた技術や製品の開発に取り組むこととなった。
新たな時代に向けて挑戦を続ける。
PHILOSOPHY
新たな時代に向けて
挑戦を続ける。
カーボンニュートラルの実現、水素社会の実現など、目標は尽きない。さまざまな優れた特性を兼ね備える貴金属だからこそ、これからも社会に貢献できることが必ずある。その信念を持ち続け、まだ見ぬ新時代に向けたイノベーションに挑戦。困難に直面しても諦めず、新たな成功への道を歩んでいる。
2022
2022
HISTORY
ナノ構造材料を
事業化
燃料電池用触媒を中心としたナノ構造材料への取り組みが始まったのは1988年。当社の新しい事業として成長させることを目指して事業化された。2010年頃から産官学連携による研究プロジェクトも増え、2021年には経済産業省より「ゼロエミ・チャレンジ企業※」に選定された。
※脱炭素化社会の実現に向けて、イノベーションの取組に果敢に挑戦する企業
諦めない精神が実現へ導く。
PHILOSOPHY
諦めない精神が
実現へ導く。
ナノ構造材料の事業化は決して平坦な道のりではなかった。しかし、オーナー企業だからこそできる「目先の利益にとらわれない、長期的視点に立った経営」により、環境・エネルギー分野における社会課題の解決に向けて研究開発が続けられてきた。そして、社員一人ひとりが持つ「貴金属メーカーとしての使命を全うしたい」という強い意志により事業化を実現した。
20xx
20xx
貴金属を活かし世界の未来を創り出す
貴金属を活かし
世界の未来を創り出す
90年を超える石福金属興業の歴史は、貴金属を通して社会に貢献してきた歴史そのもの。創業者のお客様に対する誠実な姿勢や熱意を軸に、メーカーとして技術に磨きをかけ、貴金属の可能性の拡大に挑戦してきた。
市場のニーズは偶発的に生まれることもあるが、新しい技術で掘り起こしていける。貴金属の新しい技術により、世界をより良くできる。
まだ見ぬ可能性を信じて、石福金属興業はこれからも果敢に挑戦し、世界の未来を創り出していく。